« 2007年中央線冬の陣 | Main | 藤原正彦教授の「人類が誇れる文化」 »

01/08/2007

チキンラーメンの挫折

チキンラーメンの発明者・安藤百福さんがお亡くなりになりました。日本、いや大阪が世界に誇る、「世界中の食生活に革命をもたらした発明王」です。1月7日付産経新聞に掲載された、安藤さんと付き合いのあった村田貞博元経済部長による「安藤百福さんを偲ぶ」はいささか異色です。

同記事は、即席ライス「プリックライス」の挫折にも触れています。
<昭和49年、当時、古米・古古米の処理に困った歴代の農水大臣、食糧庁長官に頼まれ、商品化したが、売れ行き不振でわずか1ヵ月で撤退を余儀なくされた。資本金の2倍、年間利益に匹敵する30億円の初期投資をドブに捨てた><「自信過剰で消費者に顔を向けていなかった、義侠心だけでは商売はあきまへん」と自己分析>

じつは、「プリックライス」には思い出があります。私が学生時代、近くのスーパー(仙台市)にこの商品が山積みになっていました。当時、卒論実験のため、研究室に泊り込むことが多く、よくインスタントラーメンのお世話になっていたのですが、「ついにお湯をかけて食べられるお米まで出現したのか」と、興味津々で飛びつきました。大学4年のときですから昭和43~44年のことです。(昭和49年よりかなり前になりますから、商品化前のマーケッティングリサーチ中だったと思われます。もっとも大学4年でなく、修士論文で寝止まりしていたときだった?)。
乾燥させた米にお湯を注いでご飯にするわけですから、少々水っぽくて、炊飯器で炊いたような粘りや弾力性には欠けていたものの、インスタント食品のニューフェイスとして、私はけっこう好きでした。残念ながら、売れ行き不振で、そのうち姿を消してしまいました。

もうひとつ、安藤さんが苦渋の決断をしたのが、昭和58年の社長引退から2年後に、長男の社長を更迭し、社長復帰したとき。「一言で言えば、私のメガネ違い。経営観が違った」と説明しています。父と長男の経営観が180度違っていたのです。役員たちの「せめて非常勤役員としてでも残せないか」との進言に、「きっぱり縁を切った方がいい。親子でも会社と情は別」と譲らず、「当社は公私混同しない会社です」。目をしばたきながら語ったそうです。

さらにもうひとつ、高校時代、夜10時から日清食品提供のラジオ15分番組がありました。ディスクジョッキーの若い女性が男子生徒のあいだで大評判。上品で明るく、歌も上手なみんなのアイドル的存在でした。そのうち彼女が日清食品社長令嬢との記事を見つけ、「なるほど、そうだろうね。ちょっと違うもんね」。もっとも広島のレコード店を回ってレコードを探しても、ついに見つかりませんでしたから、歌手としては大成はしなかったようですが。

裸一貫からスタートした安藤さんの生涯は、まさに波瀾万丈。山あり、谷あり、どん底も経験しています。安藤さんの「生きている限り前進」の前向き人生を見習いたいものです。

|

« 2007年中央線冬の陣 | Main | 藤原正彦教授の「人類が誇れる文化」 »