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07/31/2008

なぜ絶望と闘えたのか

7月22日付産経新聞「くにのあとさき/湯浅博記者」の「なぜ絶望と闘えたのか」。22日朝の日本テレビ系朝のワイドショーで読売新聞の橋本五郎さんも、この記事を特に引用して紹介しました。

光市母子殺害事件の遺族、本村洋さんが犯人の死刑判決を勝ち取るまでの9年間を取り上げた門田隆将氏の「なぜ君は絶望と闘えたのか」(新潮社)を読んだ感想を綴っています。

本村さんは多感な中学時代にネフローゼ症候群を発病、以来、この難病と闘ってきました。そのとき、彼に勇気を吹き込んだのは主治医・佐藤克子医師。「あなたは病気と結婚しなさい。それ、覚悟するのよ!」

幸運だったのは、妻・弥生さんとの出会い。「無理かもしれない」と宣告されていた子供も授かります。再度のネフローゼ治療を終えて退院して新日鐵に職場復帰した平成11年、突然の悲劇が襲います。妻と子供を無残に殺された喪失感はいかばかりだったことか。

本村さんの心理状態が極限に達していることを察知した奥村哲郎刑事は、神戸・酒鬼薔薇事件の遺族に励ましの電話を依頼します。2人は被害者無視の司法に怒りを向けます。

生きる意欲をなくし、辞表を提出した本村さんに、「君が辞めた瞬間から、私は君を守れなくなる」と許さなかった上司。「君は社会人たれ」と辞表は破り捨てられます。

山口地裁が無期懲役の判決を下したときは、「人をあやめた者が自分の命で償うのは当然。死刑にならなければ自分の命を絶とう」と思いつめていた彼の自殺を思いとどまらせたのは、異変に気付いて駆けつけた上司でした。

ご本人の筆舌に尽くしがたい苦悩と精神力もさることながら、まわりで彼を支える人たちがたくさんいたことをあらためて知りました。日々のニュースからはうかがい知ることのできないドラマが伝わってきます。

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