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08/19/2013

真田フォーラム その3


北川氏は古文書や史跡の写真を多数使って、幸村の九度山での困窮生活、九度山から大阪城への脱出、大阪城での行動等を詳しく解説しました。九度山脱出も、講談では派手に花火を上げて出かけるそうですが、北川氏は「南陵さんの話は事実と全然違う。幕府側史料には<郷民数百人に酒を飲ませ沈酔せしめて、そのすきにこっそり抜け出た>と書いてあるし、幸村側の史料にも<追手がやってきたときにはもぬけの殻。聞くと、三日以前にどこともなく立ち退いた、と口々に言った>」。これに対して、南陵さんは、「下戸もいたはず、300人が全員酔いつぶれてしまうなんてありえないでしょう」と笑いながら反論していました。
会場には、先日NHKの歴史秘話ヒストリア「発掘! 真田幸村の激闘~最新研究から探る大坂の陣~」に登場した、幸村が家康を狙撃したコンパクトな高性能火縄銃の射撃を再現した古式銃の専門家や、幸村戦死の碑がある安居神社の宮司さん、九度山で幸村が過ごした場所にある真田庵の尼さんも参加されていました。
この新発見に、「コンパクトな火縄銃も、講談通りであったことが裏付けられた」と、南陵さん意気軒昂。

講談「難波戦記」では、徳川に敗れた幸村は、豊臣秀頼と薩摩に落ち延びる筋書き。北川氏の写真集には、鹿児島にある豊臣秀頼の墓や娘こや姫の熊本にある墓の写真も入っていました。北川氏が鹿児島の秀頼の子孫と言われる人に電話したところ、「秀頼の子孫に間違いない」と話したそうです。南陵さんが「それみたことか」といった顔つきで、「そうすると、ここに宮司さんがお見えになっている、安居神社の幸村戦死碑はどういうことに?」。北川氏は「私は大坂で戦死したと思っていますから」。

豊臣がいかに軍資金を豊富に持っていたかがわかるエピソードも出てきました。借金で出身地上田にお金を催促し、飲む焼酎にも事欠いていた幸村(および父・昌幸)ですが、豊臣から大阪城に集まるよう要請されたときの支度金は現在の価値に換算すると7億5000万円。豊臣はほかの連中にもこのような巨額の支度金を準備して集めていたのです。

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