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10/12/2013

日本のいまは、応仁の乱のおかげ  その2

今から40数年前、大学生のころ、土佐中村(現 四万十市)のお寺のユースホステルに泊まったことがあります。歴史で習った幸徳秋水の墓を探し、夕食にかつおのたたきを食べ、五右衛門風呂に入った翌朝、バスで次の目的地に行く途中、窓の外に「大」という字の見える小山が・・・。「京都の大文字送り火と同じ行事が中村でも行われています」とのことでした。番組によれば、応仁の乱で失業し、中村にやってきた一条兼良の子を、地元民が慰めるために始めたものだったのですね。中村の市街地は京都と同じく区画整理がされています。500年前の文化・都市づくりが、いまも継承されているということです。
応仁の乱で全国に散らばった公家が、各地でカルチャースクールを始め、公家文化と地元文化の融合が進んだというのも面白い話でした。

「応仁の乱で集められた貧しい足軽たちが、寺社仏閣に火を放ち、超格差社会に抵抗、やがて下剋上の世界につながった」、「74歳のとき応仁の乱に遭遇した一休和尚の教えが<人は骸骨になれば、みな同じ>。一休和尚は、飢えに苦しむ人に寺納豆の製法を教えた」、「義政は文化、妻の日野富子は財テク」といったエピソードも、大変興味深い内容でした。

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