将軍は絶対的存在ではなかった/秀頼の実像 その4
大阪城天守閣館長・北川央氏の講演の続きです。
江戸時代の徳川幕府による全国支配をもとに、将軍は絶対的存在とイメージしがちですが、将軍になったからといって、そのままこの国の支配者を意味するわけではなかったそうです。事実、実現はしませんでしたが、朝廷はいったん、豊臣秀頼を関白に、家康あるいは秀忠を将軍にすることを内定していました。
家康は将軍就任を足掛かりに、豊臣家からの政権奪取を緩やかに推し進めました。しかし、秀吉の作った体制(武家の家格制等)は健在で、徳川幕府による全国支配を貫徹させるためには、豊臣家を滅ぼし、豊臣体制を破壊しなければなりませんでした。秀頼が一大名でなかったから大坂の陣は起きました。