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07/26/2015

大阪連続講座 大阪時間旅行~大大阪と呼ばれた時代 3、戦前大阪の鉄道とデパート

大阪商業大学谷内正往准教授の講義です。
現在、大阪は百貨店の激戦地ですが、戦前も同様だったようです。大大阪時代の私鉄経営と副業、付帯事業について学びました。

高島屋の名前は、琵琶湖岸の高島からきているそうですね。
戦前の百貨店は土足厳禁、下足番がいたというのも今から考えると信じられない世界です。
大大阪時代の百貨店にも商品券があったんですね。大丸の女子店員は、「1万円の現金で支払うから商品券を割引価格で売ってくれ」という紳士の依頼を断ったそうです。「10銭のお客さまも1万円のお客さまも同じようにお取り扱いしておりますので、割引には一切応じかねます」。ツンとすました洋装美女、が大丸女子店員のイメージ。
松坂屋は、本店が名古屋にあるためか、大阪弁と名古屋弁が混ざります。老舗のせいか風紀問題がやかましく、女店員のタイムカードに毎日帰宅時間を記入し、父兄の承認印をもらうようにしていたそうです。
南海高島屋は、女学生気分の女店員が多く、バザー気分。阪急は女店員だけで1,500人。当時は、素人経営で歴史も浅く、洗練されぬ、と酷評されていたようです。三越の店員は三越の風呂敷を持っている人に電車の席を譲ったり、道案内をしていたとか。おとなしい日本式の隠し化粧が好感を与え、結婚申し込みは群を抜いていたそうです。そごう(十合)の女店員はダンスやスポーツには見向きもせず、お嫁入り準備に夢中。
などと、当時の百貨店の評判もいろいろと紹介されました。

現在、阪急と阪神は合併していますが、大大阪時代、阪急が阪神百貨店の設立を阻止しようと、現在の阪神百貨店西半分の土地を他人名義で取得し邪魔したそうです。行政の
仲裁で土地を交換してできたのが、阪神の東南にある新阪急ビル。どうしてあんなところに阪急のビルが?と不思議に思っていたのですが、大大阪時代の、阪急と阪神の土地争いの結果だったとは・・・今ではそれが同じ会社になってるのですからおもしろいですね。

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