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07/19/2015

「杜の都 仙台」 のブラタモリ

昨日と1週間前のブラタモリは、「仙台」でした。先週は、伊達政宗は地形を知り尽くして仙台に城を造ったという話。城の北側は断崖絶壁(50年前の学生時代にも、八木山橋は自殺の名所として有名でした)、三方を広瀬川で囲まれ、城としての守りは鉄壁。河岸段丘の仙台城下に水を供給するため、政宗が水路を張り巡らしたという話は初耳。しかもメインの水路がいまでも残っている!

昨日は「杜の都」の由来。120万石から62万石に減らされても武士をリストラしなかった政宗は、武家屋敷にりんご、あんず、くり、ざくろなどの果樹園を造って食用にすることを奨励しました、それ以外に垣にお茶、薪に使える木々。それが杜の都の始まり。空襲で市内の木々は全滅しますが、60年前、定禅寺通にけやきの植樹が始まります。私が学生時代を過ごしたのは、その10数年後ですから、ある程度大きく成長していたと思います。西公園近くで360度くるりと回って、「仙台はやはり杜の都だなあ、一周しても緑が切れない」と感心したことがあります。

広瀬川の崖の上に豪邸があり、庭に政宗が狩の途中で雨宿りをした樹齢1000年の杉の木や樹齢350年のえのき、60人は入れる防空壕が残っていたというのも初耳。個人の邸宅ですが、NHKだから入れてもらえたのでしょう。

政宗が幕府に内緒で、第二の城、若林城を造っていたというのもまったく知りませんでした。いわば仙台の副都心が若林だったんですね。その証拠が五橋付近で東側と西側の町並みが不整合をきたして現在にいたっている! 驚きました。私が6年間過ごした下宿は現在の若林区。東に行くと、当時、帝銀事件の死刑囚・平沢がいた宮城刑務所がありました。それがまさか、政宗が造った仙台の副都心・若林城だったとは。ここにもNHKだから入り込んで撮影できた政宗の痕跡がいろいろ。刑務所の中の道は曲がっていてまるでお城。高くなった出丸も残っています。政宗が朝鮮から持ち帰った天然記念物・臥龍梅もありました

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