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06/10/2016

真田信繁が幸村に変わったのは?/<大河ドラマ 真田丸の世界>収録 その3

現在、真田幸村と呼ばれている人物は当時の古文書ではすべて「信繁」、このため「幸村」は後の人々による創作だというのが一般の考え方です。

司馬遼太郎さんも、「城塞」(文芸春秋「司馬遼太郎全集」第28巻 271ページ)のなかで、「大野修理は早くから、--もし関東と手がきれた場合、紀州九度山に蟄居させられている真田氏をまねき、それを一軍の将としよう。ということを考えていた。名を昌幸という。その子とともに紀州九度山に流罪されていた。その子というのは、「幸村」と、後世いわれる人物で、実際には信繁という名を使っていた。が、ここでは幸村という名前を用いる」と書いています。

ところで、今回収録した番組の中で、大坂の陣の研究家・大阪城天守閣館長北川央氏が面白い新説を披露されました。
当時の武士には名前が2つありました。信繁も「源次郎信繁」、後の方は忌み名といってその人そのものを表す大切なもの。真田一族は代々、忌み名に「幸」の一字を入れていました。父は昌幸、祖父は幸隆です。兄・信幸は途中で信之と名前を変えましたが、高野山の墓を見ると、真田一族を表す「幸」の入った元の「信幸」に戻っています。それを見た北川氏は、信繁も最後の夏の陣に出陣する前に、真田を表す「幸」を含む「幸村」と名乗ったのではないか・・・。

古文書に一切出てこない世界ですから、真偽のほどはわかりません。しかし、いまだにこんな謎があるとはおもしろいですね。
北川氏の正確な発言内容は、6/19NHK総合7:45~8:24放送の「もっと知りたい! 大河ドラマ真田丸の世界」をご覧ください。ただし関西地域向け放送です。

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