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08/18/2016

大河ドラマ<真田丸>の虚実/あべの真田フォーラム その2

大阪城天守閣館長・北川央さんの講演はいつもながらまるで大学の講義を思わせるハイレベルの学問の世界。
秀吉の遺書や死の直前の姿をリアルに記録した毛利輝元の叔父・内藤隆春の書状、宣教師が故国に送った書簡、真田昌幸の書状、本多正信の書状等の原文(古文書の解読文)を使って、「関ケ原合戦と真田昌幸・幸村」を話されました。

注目すべきは、
①真田が徳川方と豊臣方に別れて、真田家を守ることにしたといわれる「犬伏の別れ」、最近はその存在が疑問視されているそうです。というのも三成が兵をあげるとの大坂の書状が、犬伏の別れまでに栃木まで届くのは無理だったのではないかという疑い。

②大河ドラマ「真田丸」に出てくる秀吉の晩年の姿は、まったくのフィクション。事実とは大違い。ドラマではもうろくした秀吉が家康や三成の言うままに遺言書を書かされるという情けないシーンが出てきました。実際に秀吉が書いた遺言(写真)は、くどいくらいに徳川家康、徳川秀忠、前田利家、前田利長らに秀頼を頼むと念を押し、しっかりと書かれています。秀吉は死の8日前、大名衆を前に遺言を説明するとき、「畳を扇にてたたかせられ、いつもの御気色之様ニて御座候」。元気いっぱい、講談師のように扇を打ち付けながらしゃべったというのです。毛利輝元の叔父・内藤隆春の書状(写真)には、「(死を間近にした秀吉の行動が)如此明白なる事前代未聞之事候、日本初より名将にて候よし、天下其沙汰候之由」と書いてあります。死の直前まで秀吉のようにしっかりしていた武将はかつていなかったと言っているのです。

③大河ドラマでは、信繁(幸村)が、三成の部下として長々と働いていますが、これも実証する記録はまったく存在しません。

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