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10/24/2016

真田幸村生存説、講談師の作り話ではなかった!/九度山真田フォーラム その1

10/23(日)は朝から和歌山県九度山町へ。真田幸村(信繁)が14年間幽閉された土地です。「九度山真田フォーラム2016」に参加するためでした。私が九度山を訪問するのは3度目です。最初は3年前 「九度山真田フォーラム2013」に参加。2度目は今年3月、幸村の史跡と真田ミュージアムめぐり。
今回は午後のフォーラムの前に、前回行けなかった世界遺産の慈尊院と道の駅を訪問し、柿の郷・九度山かの柿を買ってくるのも大きな目的でした。

それではまず、10/24付産経新聞記事(webにも)から。
驚いたのは、南北戦争で北軍(=夏の陣で秀頼・幸村は戦死した)総大将の北川央・大阪城天守閣館長が、南軍(夏の陣で戦死したのはダミーでその後も生きた)総大将 講談師旭堂南陵師匠の主張を裏付けるような古文書を次々紹介されたこと。まさに敵に塩をおくるような事態に。幸村と秀頼が冬の陣以後も薩摩で生き延びたという話は講談師が作った訳でなく、当時の宣教師がヨーロッパに送った文書にも記録され、日本人の古文書も多数存在します。NHK BSPのドラマ「妻はくの一」(主演 滝本美織、現在、再放送中)にも登場する松浦(まつら)静山は、秀頼生存の噂を書き記した文書を何回も書き、詳しく検証した結果、最終的に生存していると判断しています。これほど生存説が世の中に信じられていたとは・・・おかげで北軍応援団だった歴ドル・上田市観光大使の小日向えりさんは、南軍応援団に宗旨替えしてしまいました。

http://www.sankei.com/west/news/161024/wst1610240051-n1.html

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