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07/27/2017

平尾昌晃さんは1年間の岡谷での結核療養で作風が変わった


入院は大学だった。「私の城下町」等日本の心を取り上げた歌は、岡谷での療養生活から生まれました。昨日の「産経抄」は偶然その話題。今、その岡谷に来ています。岡谷に住む学生時代の友人から、平尾さんの岡谷時代の詳しい話を聴きました。

大阪から塩尻までは順調だったのですが、塩尻でもともと5分くらいしか接続時間がなかった乗り換え電車に乗れず(特急が遅れた+特急から降りた位置がホームの先頭、接続電車は一番遠くのホームでしかもそこに行くための陸橋は一番後ろ)、1時間ホームで次の電車を待つというハプニング以外は順調。

「琵琶湖周航の歌」の立派な歌碑や作曲者小口太郎銅像は、諏訪湖から天竜川への巨大な水門のそば。この水門はパナマ運河式に、水位を変えて船を通過させるようになっていました。

岡谷で千人風呂に入りました。元片倉製糸の女工さんたちが入った、しゃれた西洋風の大きな風呂です。なんと、国の重要文化財。入場料650円。重要文化財の風呂というのはほかに例がないのではないでしょうか。しかも今でも現役。製糸工場と言えば、すぐ「女工哀史」という言葉が浮かびますが、実際はお嫁にいくお金ができて、喜ばれていたという話も聴きました。

今まで知りませんでしたが、岡谷はうなぎで有名。市内に多くのうなぎ料理屋があります。昼食は、油がこってりの美味しいうなぎを食べました。1尾入って3,200円。イナゴの佃煮も付いていました。現在再放送中の朝ドラ「こころ」みたいに、客が来てからさばき始めるお店。しかも入り口に「当店は一人でさばいていますので、時間がかかります」・・・。

http://www.sankei.com/column/news/170724/clm1707240003-n1.html

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