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08/25/2017

なんだ? 図書館の本にこの落書き


いま読んでいる司馬遼太郎さんの「俄(下)」、図書館から借りた本です。落書きが2カ所。しかも間違っている!
時代小説に出てくる地名や寺の名前が今の地図に載っていなくても不思議ではないでしょう。

「大阪市にはこんな名称の寺はない。建国寺、東照宮」
「こんな地名ナシ。滝川町」

ちなみにHPを見ると、建国寺、東照宮は、
<徳川家康をまつる東照宮は、日光市にあるのが有名ですが、各地にも分霊がまつられました。大阪でも幕府の大阪支配の拠点とするため、家康の死の翌年である元和3年(1617)4月、家康の外孫であり大坂城主の松平忠明が、天満川崎の地(現在の造幣局西側)に日光東照宮のそれに勝るとも劣らない社殿を造営しました。これが「川崎東照宮」です。かつて家康が茶席に出掛け庭の雅趣を楽しんだとされる織田有楽斎の別荘地を選び、勧請されました。以後、毎年4月と9月の17日に「権現まつり」が催され、「浪花随一の紋日(特別な日」といわれるほどにぎわいました。
しかし、明治6年(1873)、明治維新後の反徳川、豊臣再興の風潮で廃社となりました。現在、川崎東照宮の遺構は当山の本地堂の他、学問の神様で知られる菅原道真公を祀る大阪天満宮の境内に石灯籠、鳳輦庫が移築されています。星合の池奥にある鳳輦庫の屋根瓦には葵の御紋が見られます。
また、大阪市北区の滝川小学校の正門横に、かつてここに東照宮があったことを示す石碑が建てられています。昭和57年当山経蔵から発見された文書や絵図により、川崎東照宮が廃社直前に当山に遷座されていたことが判明しました。現地蔵堂が東照宮本地堂「瑠璃殿」であり、その際文書類と一緒に発見された薬師如来が御本地仏であることがわかったのです。
それらの文書には、今は廃絶した別当寺・建国寺の名跡を継いだ当山八世大雄義寧禅師による、艱難辛苦の護法運動の結果、完遂された護持であったことが克明に記録されています。当山の寺紋が東照宮葵紋となった所以です。>


滝川町は、
<滝川地域は、江戸時代、大坂三郷のひとつの天満郷の中心地域で天満惣会所跡など史跡も多く、大川の流れをふまえ環境的にも恵まれた地域です。明治22年4月に大阪市制施行とともに大阪市北区(当時)滝川町となりました。昭和53年3月の住居表示実施とともに、天満四丁目となりました。>Sp1150821


Sp1150820


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