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03/20/2018

堺事件、幕末の大坂、大河ドラマ「西郷どん」

今日は天王寺区民センターで講演会「講談と講演で巡る<幕末・維新のおおさか>」を聴講しました。第1部は旭堂南海氏による講談「堺事件~命をかけたクジ引き」。第2部は大阪城天守閣 宮本裕次氏の講演「幕末大坂城と上町台地」。
宮本氏によれば、徳川家茂(いえもち)は文久3年(1863)、将軍として家光以来229年ぶりに大坂城入城、大坂湾巡視を行い、精力的に公武合体を目指して行動します。翌年も大坂にやってきて、慶応元年6月から大坂城で過ごし、幕府政治の中心地は江戸から大坂に移ります。江戸から将軍がいなくなったのです。家茂は広大な大坂城を隅々まで巡視、訓練の上覧を行い、国難に立ち向かう自らの意気込みを示し、城と自身との一体化を図りました」。
慶応2年6月19日には天守台のぼり、22日にも櫓に入っています。ところが25日以降は自室から出ておらず、7月20日に死去しました。死因は脚気による心不全と虫歯による体力低下とみられています。ドラマでもお菓子を食べるシーンが出てきました。戦後、死体を発掘し解剖したところ、虫歯でなかった歯は1本しかなかったそうです。
ちょっと意外な家茂の実像でした。

さらに意外だったのは、「14代将軍家茂が大坂城に住むようになった慶応元年閏5月以降、江戸には将軍がいなくなった」こと、「15代慶喜が将軍になったのは京都であって江戸ではなかった」こと。「慶喜は大政奉還後も朝廷の猛反対を推しきって兵庫港を開港させるなど、新しい政治体制を指向して精力的に活動していた」んですね。

歴史はしばしば、後世の人々による当時の社会を都合よくとらえようとする姿勢(古い体制は悪く、新しい体制は良い)などによってゆがめられるということがよくわかります。

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