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08/20/2018

こちらが本来の目的、「天保期の薩摩藩」


8/19(日)に大阪歴史博物館に行った目的は、特集展示「天保の光と陰」記念講演会「天保期の薩摩藩」を聴くため。隣のNHKで開催されていた鹿児島フェアの記事を先にアップしましたが、遅まきながら講演の紹介を。

講演は、「薩摩藩の天保改革と島津斉宣・斉興」(鹿児島県歴史資料センター黎明館 崎山健文学芸専門員)と「天保期の琉球使節」(大阪歴史博物館 木土博成学芸員)。

江戸時代も終わりにさしかかった天保期(1830~44)。薩摩藩は、大坂で借財の「踏み倒し」に近い大胆な改革を行い、のちに雄藩として台頭する条件を整備していきました。

・収入14万両に対し、500万両(5000億円)もの借金を抱え、倒産状態にあった薩摩藩、島津重豪(しげひで)に抜擢された調所広郷(ずしょ ひろさと)の改革は藩政の隅々に及び徹底し、多大な成果を上げた。幕末の薩摩藩は中央政局で常に重要な位置を占めることになるが、この改革による財政的な裏付けが不可欠だった。ただし、三都の銀主の損害、奄美の黒砂糖地獄(大河ドラマはこの点を正しく取り上げていた)等、多大な犠牲が払われた。
・斉宣による将軍の御台所との密接な関係は、天保期の島津家の地位向上につながった。また大奥の内情を知る契機ともなった。この経験が孫の斉彬に引き継がれた。
・斉彬による近代化事業は、世界遺産になるなど高い評価を得ているが、その素地となる制度や人材育成は(大河ドラマでは徹底して暗君として描かれていたが)父の斉興期にすでに始まっていた。

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