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09/16/2018

住吉大社の「禁裏御祈祷場所の場所の石標柱」


反橋の架かっている神池の南端近く、南牧橋の西詰め南北両脇に「禁裏御祈祷場所の石標柱」が対になって立っています。
禁裏(きんり)とは、みだりにその中に入ることを禁じるという意味で、皇居・御所・宮中・天皇を表します。

幕末、嘉永6年(1853)7月8日、黒船が来航し、開国の要求を突きつけました。孝明天皇は12月3日、住吉社に天下泰平・宝祚長久(宝祚:ほうそ=天子の位、皇位。長久:ちょうきゅう=長く続くこと)の臨時御祈祷の勅命(天皇の命令)を出し、津守神主は住吉社前の長峡浦(ながおのうら)で浜祈祷(はまぎとう)を勤修(ごんしゅ:法要や儀式を執り行うこと)しました。

翌年2月22日、二十二社(神社の社格の一つ。国家の重大事、天変地異の時などに朝廷から特別の奉幣(ほうへい=天皇の命により神社・山稜などに幣=ぬさ=をたてまつること。幣、幣帛=へいはく=とは神に祈るときに捧げ、また祓いに使う紙・麻などを切って垂らしたもの。ごへい)を受けた)臨時御祈祷の勅命により、再度の浜祈祷を勤修、以降、安政5年(1858)、文久2年(1862)等たびたび住吉大社で浜祈祷が行われました。

この石標柱は、浜祈祷の斎場を設ける際に建てられたものと思われます。石柱は十三間川(現在の阪神高速堺線沿)の西岸、長峡橋を中心に南北それぞれ400間の地に建っていましたが、時代とともに忘れられ埋もれていました。

明治30年、大阪築港起工式の際、偶然十三間川近くの松林路傍の叢(くさむら)中から発見され、これを記念して宝之市神事が復興されました。石柱は住吉公園西の飛地境内の御旅所(住吉区浜口西1丁目13番)に移転建立され、平成元年12月22日に土地売却のため、境内神池の南牧橋西詰に移転されました。


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