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01/24/2019

「日本国紀」で日本歴史をざっと振り返り 12


第6章「江戸時代」(2)

・「士農工商」の士は武士+僧侶、農は農+魚、工は職人、商は商人。実際は「士」と「農工商」に分けただけで、農・工・商の間に身分の上下はなかった。工・商は都市部に住む町人だが、町に住む職人は町人、農村に住む職人は農民。→ここまで詳しい身分制度の内容は知りませんでした。

・皇室は幕府から三万石の禁裏御料を与えられた。→住吉大社に「禁裏御祈祷場所」の石碑があります。天皇の勅命により、国家安泰を祈祷する場所という意味です。

・「中間(ちゅうげん)」は下級武士で、武士と農民の中間的存在だったことからそう呼ばれた。→なるほど。

・苗字を名乗れたのは武士だけだが、農民や町民の多くも苗字を持っていた。→そうだったんですね。江戸時代の古文書には名前だけの農民・町民が多いようですが。

・「切捨御免」と言われるが、実際は町人、農民を斬り殺した武士も切腹を命じられることが多かった。→大半の武士は、一生のうち一度も刀を鞘から抜いたことのなかったそうです。

・「左様せい(そのようにしろ)様」と呼ばれた四代家綱の時代に、「明暦の大火」が起きた。火事から避難するため両国橋を架け、たもとにはすぐ壊せる建造物「土俵」を作った。このため両国が相撲の街となった。→両国の相撲にはこうした起源があったそうです。

・五代綱吉は悪法「生類憐みの令」で知られるが、在職中に天変異変が頻繁に起こった。元禄16年の大地震、元禄17年・宝永元年の浅間山噴火、宝永4年の富士山噴火、宝永5年の大火など。→綱吉は不運だったともいえます。なお大和川付替えは宝永元年(2/27~10/13)です。

・元禄8年の貨幣改鋳(金銀含有量を減らす)は、ある意味では世界に先駆けて近代的な管理通貨制度を採用した画期的な出来事だった。市中に多くの貨幣が出回ったため、景気が良くなり(金融緩和)、元禄文化が花開いた。浮世草紙(西鶴など)、人形浄瑠璃(近松など)、俳句の芭蕉、浮世絵、宮崎安貞の「農業全書」、暦、和算の関孝和、面積の求め方・ピタゴラスの定理などの吉田光由「塵劫記」など。庶民が自分で考えた数学の問題を楽や絵馬に書いて神社仏閣に奉納した算額は世界的にも例がなく、日本の江戸時代特有の文化だった。

・勘定奉行・荻原重秀は、ケインズより240年も前に金本位制を脱し、貨幣改鋳により信用通貨システムを打ち立てた。新井白石に嫌われ、ネガティブキャンペーンを張られたため、今日知る人は多くないが、もっと評価されていい。→全然知らなかった話です。荻原ほほかにも多彩かつ現代的な業績が多数あるようです。

・寺子屋は都市部には桃山時代からあり、キリスト教宣教師を「日本の女子供は字が読める」と驚かせた。江戸時代中期には農村部にも広がり、幕末には全国に15,000以上になった。武士の子弟は、藩校でよりレベルの高い教育を受けた。他にも蘭学や医学を教える私塾が全国にあった。→旧家に保存されている江戸時代の辞書、百科事典、人物事典、文書の書き方辞典、地図などを見ると、そのレベルの高さに驚きます。しかもこういう本が一式、庄屋や商家に常備されていたというのですから。この中には例えば、富士山を上空から眺めた詳細な地図があります。飛行機もない時代にこんなものをどうやって? 現在のGoogleの航空写真と並べると、その精度の高さがよくわかります。

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