07/10/2018

「関ケ原 島津退き口(のきぐち)ー敵中突破300里」


桐野作人、学研新書78、2010.5.1 本体790円。

国宝「旧記雑録」等の古文書をもとに、関ケ原で西軍に加わって敗れ、薩摩まで落ち延びた島津義弘のいわゆる「島津の退き口」を丁寧にたどったドキュメント。
複雑な島津家の内情、なぜ西軍に加担したのか、住吉と島津と田辺屋(現存する日本最古の製薬メーカー 田辺三菱製薬のルーツ)との深いつながりがわかります。

今年3月、府立中央図書館の道修町講座で、田辺三菱製薬史料館の方の講演で初めて知った住吉をめぐる秘話。その後、まち歩きや動画で紹介したり、住吉大社とも深いつながりのあったことがわかったり・・・ますます面白くなっていきます。

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07/02/2018

きのうは34.8℃のなか、土佐藩ゆかりの幕末・維新の史跡歩き


住吉から堺まで10キロ、炎天下の中を参加者160人とスタッフ合わせて180人くらい。(大変好評で220人くらいの申し込みがあったため、追加開催が決まったそうです)。
あまりの暑さに、半分のイオンモール(何年か前、東京からやってきた海老名さんたちとダイセル跡地を見学に行ったところ)まででリタイヤした人や途中で脚がつって歩けなくなった人も出た模様。
私は撮影担当ですから、住吉大社~七道は南海電車、高須神社~妙国寺は阪堺電車で移動するというズル?をしましたが、それでもきつかった・・・

帰宅して風呂に入ってひと眠りした後、3分間動画を作りました。字幕作成の前まで完成。きょうは10年間ほど使ってきたガラケーをスマホに更新するため、auショップに行ったり、スマホをいじっていたのでまだ動画作成作業の続きにたどり着いていません。

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05/06/2018

坂本龍馬も泊まった三文字屋


坂本龍馬は、文久二年(1862)、2月9日夕暮れ、「三文字屋」という当時全国でも5本の指に入る、住吉大社そばの料亭・三文字屋(さんもんじや)に投宿しました。翌2月10日、望月清平・安岡覚之助(天誅組参加の安岡嘉助の兄)らが「三文字屋」を訪れて快談。龍馬は4~5日留まり、視察のため京都へ・・・。

その「三文字屋」の場所は現在、住吉警察署になっています。残念ながらかつての姿を偲ばせるものは何も残っていません。

そこで三文字屋の奥座敷を描いた絵を・・・(三文字屋は読んできた古文書にもよく登場します)。

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05/01/2018

「産業」という言葉は江戸時代にもあった


古文書サークルで2年余りかけて読んできた地元の江戸時代の古文書に「産業」という言葉がでてきます。
「へー、明治時代以降にできた言葉とばかり思っていたけどなあ」

一般の国語辞典や百科事典を引いても、この言葉が江戸時代に使われていたかどうか、当時の語釈はどうだったのかはなかなか判断できません。
そこで今回、四天王寺の古本市で買ってきた「音訓引き古文書字典」(柏書房、2004)を引いてみました。この字典は江戸時代の言葉を集めた事典ですから、本書に収録されていれば間違いなく、江戸時代に使われていたことになります。するとちゃんと出てきました。

<産業 さんぎょう 生活するための仕事。職業>

間違いなく江戸時代にも使われていたのですね。ちなみに古文書にでてきた文は、
<四民暮シ方弁利之義厚心懸ケ、実直ニ産業ヲ営候可致>

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04/11/2018

きょうの「歴史秘話ヒストリア」はあの話です


今年3月に聴いた「田辺製薬と島津義弘と住吉の関係」の話がテーマのようですね。田辺や住吉が出てくるかどうかはわかりませんが。講演会について書いた私のBlogは次の通り。
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住吉大社に島津家初代・島津忠久がここで生まれたという「誕生石」があります。
3/17、大阪府立中之島図書館でおこなわれたセミナー「薬の町 道修町講座」の中で、住吉と島津家の関わりをもう一つ聞きました。

現存する製薬会社の中で日本最古の田辺製薬(現 田辺三菱製薬)の田辺家は、戦国時代、朱印船貿易を手掛けた豪商です。薩摩の島津家とも深いつながりがありました。とくに 関ヶ原で敗れた島津義弘が薩摩まで撤退する途中、田辺屋道與(どうよ)が助け、大阪の住吉に匿ったそうです。その恩義から島津が田辺に秘薬の調合法を伝授し、「たなべや薬」を発売し大ヒットしました。これが田辺製薬飛躍の礎となります。セミナーの中では、同社のその後の苦難の歴史も詳しく紹介されました。

田辺家が島津義弘を住吉に匿って助けなければ、田辺製薬は生まれなかった・・・

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04/10/2018

瀬戸大橋開通30周年記念ヘッドプレートを付けた第1号電車乗車記念品

これをねらっていた訳ではありませんが、偶然自分の乗るマリンライナーが「瀬戸大橋開通30周年記念のヘッドプレートを付けた第1号電車でした。
香川県知事、岡山県副知事、JR四国社長などそうそうたる財界人を集めて、ホーム上で「披露式典」と「発車式」が行われました。

小学校の修学旅行で宇高連絡船に乗って、高松(屋島、栗林公園)、琴平等を回ったことを懐かしく思い出します。30年前の瀬戸大橋開通は本州と四国の人と物の移動を画期的に変化させました。道路だけでなく、鉄道併用ということも威力になりました。この30年間の利用者数は2億6千万人だそうです。

昔の宇高連絡船の名残りで、以前の高松駅は今より海に近いところにありました。長らく移設工事中の高松駅を利用して四国に出張していたことも懐かしいですね。

写真(後程追加)は瀬戸大橋開通30周年記念のヘッドプレートを付けた第1号マリンライナーに乗り合わせた乗客全員に配られた記念品です。

現場でNHKのインタビューに応じたのですが、帰宅して「NHK Web 香川のニュース」を見ると、画像はありませんでしたが(岡山で行われた式典の方は映像も)、「大<瀬戸大橋開通の思い出>阪の自宅にもどるために駅をおとずれていた70代の男性は「瀬戸大橋は景色がきれいで気持ちがいいです。記念列車に乗ることができてうれしいです」と話していました」という記述が・・・。これ、私が喋った話の一部です。小学校の修学旅行で宇高連絡船に乗った話もしたのですが。

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03/22/2018

3/22の「私の拉致取材」は引き揚げられた北朝鮮工作船

2003年、東京で会議の翌日(休日)、大阪へ帰る前に見に行きました、東京・お台場「船の科学館」に。会期中160万人が押し寄せ、その後、横浜の海上保安庁資料館に展示され、そちらでも昨年夏末までに300万人が見学しています。

安倍さんが展示品を覗きこんでいる写真が掲載されていますが、当時は官房副長官だったんですね。

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03/20/2018

堺事件、幕末の大坂、大河ドラマ「西郷どん」

今日は天王寺区民センターで講演会「講談と講演で巡る<幕末・維新のおおさか>」を聴講しました。第1部は旭堂南海氏による講談「堺事件~命をかけたクジ引き」。第2部は大阪城天守閣 宮本裕次氏の講演「幕末大坂城と上町台地」。
宮本氏によれば、徳川家茂(いえもち)は文久3年(1863)、将軍として家光以来229年ぶりに大坂城入城、大坂湾巡視を行い、精力的に公武合体を目指して行動します。翌年も大坂にやってきて、慶応元年6月から大坂城で過ごし、幕府政治の中心地は江戸から大坂に移ります。江戸から将軍がいなくなったのです。家茂は広大な大坂城を隅々まで巡視、訓練の上覧を行い、国難に立ち向かう自らの意気込みを示し、城と自身との一体化を図りました」。
慶応2年6月19日には天守台のぼり、22日にも櫓に入っています。ところが25日以降は自室から出ておらず、7月20日に死去しました。死因は脚気による心不全と虫歯による体力低下とみられています。ドラマでもお菓子を食べるシーンが出てきました。戦後、死体を発掘し解剖したところ、虫歯でなかった歯は1本しかなかったそうです。
ちょっと意外な家茂の実像でした。

さらに意外だったのは、「14代将軍家茂が大坂城に住むようになった慶応元年閏5月以降、江戸には将軍がいなくなった」こと、「15代慶喜が将軍になったのは京都であって江戸ではなかった」こと。「慶喜は大政奉還後も朝廷の猛反対を推しきって兵庫港を開港させるなど、新しい政治体制を指向して精力的に活動していた」んですね。

歴史はしばしば、後世の人々による当時の社会を都合よくとらえようとする姿勢(古い体制は悪く、新しい体制は良い)などによってゆがめられるということがよくわかります。

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02/26/2018

信貴山寅まつり 2018 /信貴山と聖徳太子/その3

王寺駅北口に犬の石像があります。「聖徳太子の愛犬 雪丸」と書いてあります。人間の言葉を理解した賢い犬と伝えられます。王寺町のマスコットです。寅まつりのイベントのひとつとして、朝護孫子寺の境内を雪丸のゆるキャラが歩いていました。

信貴山と聖徳太子のつながりは「その2」で書いた通りです。境内の本坊そばに、聖徳太子が馬に乗って笛を吹いている珍しい像があります。腰には刀を差し、背中に矢を背負っています。戦闘に出かける前の聖徳太子の姿でしょうか。意外な聖徳太子像にちょっとびっくり。

並んで立っているのが、神木「かやの木」。聖徳太子が物部守屋勢を打ち破る100年も前に芽吹いた木です、お寺の御神木なっています。


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信貴山寅まつり 2018 /信貴山は寅に縁があるお寺/その2

住吉大社は「卯」と縁がある神社として知られます。反り橋を渡ったところある手水場は、兎から水が出ていますし、境内に翡翠の「撫で兎」もあります。神功皇后がこの地に住吉大社を御創建されたのが、卯年卯月卯日だったと伝えられるためです。

一方、信貴山の朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)は、「寅」に縁のあるお寺です。1400年あまり前、仏教を普及させようとした蘇我氏とこれに反対する物部氏が争ったとき、信貴山で戦勝祈願をした蘇我方の聖徳太子の前に毘沙門天が現れ、必勝の秘法を授けました。おかげで戦いに勝った聖徳太子は、ここに伽藍を建てました。太子が毘沙門天に出会ったのは、「寅年の寅の日、寅の刻」だったと伝えられます。

境内には名物の大寅の張り子があります。頭が動いていました。寅まつりのイベントとして、無数の張り子をピラミッドのように積んで寅供養(法要は25日)も行われていました。本堂には大小の張り子の寅が並び、大きいものは祈祷料として2万円。張り子の寅の絵付け(1,000円)もやっていました。その他、境内のあちこちに寅の張り子が・・・翌25日には寅年生まれの男女が寅の張り子と共に練り歩く寅行列も行われる予定。
そうそう、信貴山大橋のたもとにある白虎の像も虎と言えば虎ですね。

ついでに信貴山名物は「寅まんじゅう」です。同じ虎でも「しまじろう」と違って、怖い顔をしています。孫に渡して来たけど、「怖い!」とか言ってないかな?

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