09/21/2019

「三越」の語源は「三井越後屋」

京都を歩いて見つけたのが「三井越後屋京本店記念庭園」。
もしかして「三越」は「三井越後屋」を縮めた名前だったの?
ということで調べると・・・

松阪で木綿商売をしていた三井高利は1673年、江戸に越後屋呉服店を開きます。同時に西陣織や小間物など呉服物を仕入れる拠点として、京都に仕入れ店を開業しました。

何度か移転していますが、江戸期から昭和58年(1983)年まで、この地が越後屋京本店のち三越京都支店でした。現在は庭園になっています(非公開)。
瓦に「三井」のマークが入っています。

Weblioによれば、
<みついたかとし みつゐ- 【三井高利】 ○
(1622~1694) 江戸前・中期の豪商。伊勢松坂の生まれ。三井家第二代。通称,八郎兵衛。1673年江戸・京都に呉服店越後屋を開業,次いで江戸・大坂に両替商を営み,幕府為替御用達として巨額の富を蓄積,三井家の基礎を築いた。>

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09/10/2019

動画「住吉大社句碑・燈籠秘話/大江丸と俳句・松苗・飛脚石燈籠」

頭の整理のため、大江丸関連の画像や文献資料を3分間の動画にまとめました。
文字の多い部分を読みたい方は、静止させてどうぞ。
参考資料として、「大江丸は嶋屋と同一人」「津国屋とは何者?」を付けました。

なお、「嶋屋・津国屋連名の先塋(先祖の墓)塔」の場所・正覚寺は、関西大学黒田一充教授から教えていただきました。

https://youtu.be/3tjBVtkQnxo

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08/16/2019

大坂西町奉行所跡

現在読んでいる古文書に、天保6年大坂西町奉行あての訴状がでてきます。
8/6に出かけた文房具と紙製品の見本市(文紙メッセ)の会場、「マイドームおおさか」は西町奉行所址にあります。大阪商工会議所の隣です。
ここは大阪府立貿易館、大阪府立貿易専門学校誕生の地でもあったようです。明治天皇も行幸の際、立ち寄られており、これら石碑がずらり並んでいます。OSMにぜんぶ記載されているかな、チェックしておかなければ・・・

ところで西町奉行は、落語「佐々木裁き」に出てきます。もっとも登場人物の佐々木信濃守は、本来東町奉行だったそうですが、なぜか落語では西町奉行・・・などという話は、日本近世史の高島幸次先生の「上方落語史観」(発売元 株式会社140B、2018.1.11)に詳しく載っています。

そこで、同書から私の「古文書講義録」(予習版)に次の文章を書き留めました。

<大坂の東西町奉行所は、大坂を東西で地域割り支配していたのでなく、月番で市中全体を支配していた。もともと両奉行所は大阪城北西の京橋口の門外(大阪市中央区)に隣同士に立地しており、その相対的な位置関係で東西を冠していた。享保9年(1724)の大火で両奉行所が消失し、東町奉行所は元の京橋口に再建され、西町奉行所は内本町橋詰町(大阪市中央区)に再建された>。
      
佐々木信濃守は、大坂の後、江戸の北町奉行・南町奉行を歴任し、この噺を江戸に移した「佐々木政談」では、主人公の四郎吉が遊ぶ場所を大坂・住友の浜から江戸・新橋の竹川町に、佐々木信濃守を南町奉行に変えているそうです。

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08/13/2019

小学5年生用「北前船」ガイドの準備

8/30に某小学校の児童に、「住吉大社および境内の燈籠が日本遺産<北前船>に認定されたこと」をテーマにした研修があり、私も境内を案内することになっています。
境内の案内個所は10カ所、3班に分かれてそれぞれガイド2人がつきます。
私の説明担当は5カ所、「越中締綿荷主廻船中 燈籠」(富山と大坂の綿商人が奉納した燈籠。高さ6.6m)、「阿州藍玉大阪積 燈籠」(徳島の藍玉業者が奉納、高さ7.5m)、「長明燈 燈籠」(山形十日町の紅花や綿の業者や京都・大坂などの商人が奉納、高さ7.1m)、「遣唐使進発の地 顕彰碑」(住吉の津から遣唐使船が出航したことを顕彰するカラー絵画の碑、令和への御代替わり直前に除幕)、「うつぼ干鰯仲間 燈籠」(境内でもっとも巨大、高さ10.8m。幅10m)。

小学校5年生に、藍玉、紅花、遣唐使、干鰯とか言ってもわからない? 資料はきょう中に作れそうだけど、わかりやすく説明する工夫をしなくては・・・ 

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08/01/2019

住吉大社に「日本遺産認定記念額」

きょう、第三本宮に飾ってありました。

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07/23/2019

きのうは 講演「神功皇后伝説の諸問題」

住吉大社を創建された神功皇后、日本全国に足跡が残る(と伝えられる)お方ですが、それらの伝説には多くの問題が・・・。
長崎大学名誉教授 勝俣隆先生が、古事記・日本書紀・住吉大社神代記の記述を詳細に比較しながら検証されました。
配布された資料も、B4に縦書きの文字がびっしりで、19ページ。
なかなか聴きごたえのある、おもしろい学術的な講演でした。いつもながら住吉大社吉祥殿の会場は、いっぱいでした。

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07/21/2019

「たなべや薬」は島津義弘の秘薬か? 処方・効能に基づく考察

去年3月、大阪府立中之島図書館で開催された「道修町講座」でたまたま聴いた田辺三菱製薬・松本さんの講演、その中で「田辺製薬のルーツは、関ケ原の戦いで敗れた島津義弘を住吉で助けた田辺屋道與に対する礼として、義弘が島津家秘伝の薬方を伝授したことにある」と聴きました。

ほかの方は聞き逃したかもしれませんが、「住吉」と聞けばほおっておけない私のこと、「島津初代は住吉大社境内で誕生した」というエピソードに加えて、住吉と島津を結びつける話がもう一つあったことを、大社境内のガイドでも紹介させていただきました。みなさん、住吉と島津と田辺製薬の意外なつながりに、「初めて聞いた」と驚かれました。ちょうど大河ドラマ「西郷どん」が放映され、島津ブームに沸いていた頃でした。

これが縁で、今年4月20日の住吉大社「島津忠久公誕生記念祭」に田辺三菱製薬の方も招待され、出席されました。

さて、田辺製薬と島津義弘を結びつける学術的な論文が、このほど「薬史学雑誌」誌上に発表されました。標題は<「たなべや薬」は島津義弘の秘薬か? 処方・効能に基づく考察>。
筆者は今年の誕生祭にも出席された田辺三菱製薬・史料館の乾氏と松本氏です。数多くの文献から詳細な検討が加えられており、あらためて冒頭のエピソードの根拠が理解できました。

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07/17/2019

江戸時代のお金の単位、知らなかった「目(め)」と「匁(もんめ)」の関係

こんなややこしい計算を瞬時に暗算でこなしていた江戸時代の人はすごい、とつくづく思うのが、お金の換算。
金の単位は「両・分(ぶ)・朱(しゅ)」の4進法、銀は「貫・匁(もんめ)・分」で1貫=1000匁、1匁=10分。1000進法と10進法が混ざります。さらに匁の1の位がゼロの場合は「目」に変わります。これは知りませんでした。「9匁(もんめ)、10目(め)、11匁(もんめ)」となります。高島幸次先生の「上方落語史観」に、文楽「女殺油地獄」の床本に「200匁」と書いてあっても、太夫さんは「200め」と語る話が紹介されています。さすが口承芸能! 
中野家文書に時々「匁」の代わりに「目」が登場して不思議に思っていましたが、そういうことだったのか・・・
銭の単位は「文(もん)」。銭1000文=1貫文です。
もう一つ、「歩(ぶ)」という単位も「中野家文書」に出てきました。当時、調べていたらある本に「金の単位は本来<歩>だが、大坂では<分>と書く」と書いてあったので、とりあえず納得したのですが・・・


さらに金・銀・銭の交換比率は時代によって変動するのですから、江戸時代の商人は頭がよくなくては務まりません。両替商が発展したわけです。
おまけに、江戸時代は、金銀銭に加えて、長さ・容積・重さなどにも同じ単位が出てくるので大変です。例えば、落語「井戸の茶碗」に、屑屋が紙くずを買い取る場面で「7匁ちょっとございますんで、8文で買わせていただきます」。この7匁を銀7匁と思ったら訳が分からなくなります。ここの匁は重さの単位です。重さの匁は160進法で160匁=1斤です。
(高島幸次「上方落語史観」より)

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06/30/2019

山形から「紅花」のお便り

住吉大社に紅花の燈籠があります。高さ7.1mの大きな燈籠です。名前は「長明燈」。1862年、山形十日町の豪商佐藤利兵衛家が、建立したもの。佐藤家は、紅色の素となる紅花を、日本遺産になっている北前船で京都や大坂に送っていました。
紅花は現在も山形県の県花であり、紅花をテーマにしたイベントが行われているようです。山形からこんなメールが送られてきました。

http://www.yamagata.nmai.org/perorinshun/index.html

なお、長明燈の向かいにあるのが、阿波徳島・藍玉の燈籠です。青色の素ですね。こちらも高さ7.5mという大きさです。

どちらも海上輸送に頼っていたため、航海安全を祈願して、住吉大社に燈籠を寄進したものです。

長明燈、阿波藍玉燈籠の近くには、宇治茶(永谷)の燈籠もあります。

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06/16/2019

動画 神功皇后を巡る旅(住吉大社・埴土の秘儀の畝傍山&神功皇后陵

https://youtu.be/Hr8kfzJvUio

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